振り向けば、嗤うまりか。

進撃に、リヴァイに、短いレイヤー半生を持っていかれました。悔い無き選択だった。原作はさいごまで見届ける覚悟ですが、捏造パロディ色々好きなだけやらかしつつ愛を燃やし尽くしたいと思います。たまに溺愛しているちびエレリ出没。
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進撃に、リヴァイに、短いレイヤー半生を持っていかれました。悔い無き選択だった。原作はさいごまで見届ける覚悟ですが、捏造パロディ色々好きなだけやらかしつつ愛を燃やし尽くしたいと思います。たまに溺愛しているちびエレリ出没。
自分は

自分は

欲張りだから、演じることを離れることはできない。けどふと怖くなることはある。
『彼はまだ私の中にいますか』と。

演じることは自分の中の自分、を壊して、自分でない人格を流し込むことだから、ふと気づいたら空の器だけになって中にあった魂が見つからない、そうなることを何より恐れている。こわい。

だから彼ならこう笑う、こう俯く、こう思う、こう感じる…を、自分の身体が自分じゃないみたいに表現してくれること、を確認せずにはいられない。

自分探しの解答用紙を埋めて、漸く自分自身を自分が演じることができそうになってきた。でも、代わりにずっとそこを埋めてくれていた彼の居場所がなくなってはいないかと、それがほんとうに怖かった。

今すべきことではなかったかもしれない。でも、今感じたかった。
私は彼と歩んでいく。
コード・ブルー

コード・ブルー

2回目を漸く観てきた。
ふと気づいたら、初めて見た日のちょうど2ヶ月後が今日だった。2ヵ月前に観て泣いたシーンで恐らくまた、泣いた。もっと泣いていたかもしれない。

山下智久は、実際の病院での撮影の最中にもとどまることなく運ばれてくる現実の患者を見て、何も出来ない無力感に襲われたという。けれどもコード・ブルーを観て医師を目指すことを決めた、という声を聞き、それが自分の役割なのだと確信したのだそうだ。
人生を変える、ことまではできなくともいい、人の痛みに涙を流したり自分のことでいっぱいになっていた頭を他者のために向けることができたり、そういうものだから映画は素晴らしい、と思う。

そういえば、昨日樹木希林さんの最期のドキュメンタリーを観たあとに彼女が死の間際まで演じ続けた作品の一つが予告編として流れたのが印象的だった。
人は死ぬ。けれども何かを残し伝えることはできるはず。すごい人にならなくても、こうして生きてこれを残したのだと、自分だけでもいいから、わかって納得できるものを。

そして、あと10日。この日のための、もう一人のリヴァイ先生のための、ブラックエディション。胸を張って使いたい。
去年の9月は

去年の9月は

なんて話をしたあとでアニメの10話を、つまりあの69話を観て本当に泣き崩れてしまった。この撮影が3年前の9月だった。あの時の思いが溢れてきた。

3年前。
拙い私の表情。でも、いいたいことはあの時も今も全く変わらない。

幼い頃渡された一本のナイフを「俺にはもういらねえよ」とばかりに墓前に刺して。
最後まで素直になれなかった2人が初めて穏やかに過ごせるのは、ケニーの亡くなったその場所。形見の帽子をひっかけた粗末な墓にそっと語り掛けるリヴァイ。今なら言える、「ありがとうな」は本当はケニーにも向けられていたはず。だって、あの時離れていったのは…だから。
ああ、そうだな、こんなの俺にだって似合わねえよ、と不器用に花を供えて別れを告げて。

そういう場所だった、あそこは。

おこがましいかもしれない。
自分のしたことを正当化するつもりも全くない。ただこの作品が好きだ。そう思うことしか、できなかった。

ありがとう。
メカニック

メカニック

リヴァイさんはメビウスって決めてるの。

医者リヴァイさんはどっかの外国製のキッツい両切り煙草吸ってた。
アーティストリヴァイさんは、初めはマルメンって設定だったんだけど、衣装をとっかえひっかえするように(女も?/笑)煙草もその時の気分で変えてる人がいいなって思ったから、撮影ごとに様々。曲のイメージだとか世界観だとか、或いは関わっている芝居やステージや…そういうものに合わせてライフスタイルそのものを変えてる人だったらいいなって。

役者が役になりきるために衣装を着てしばらく生活してみたり、役のために減量したりいつもの自分の生活とは違うことをしてみたり、そういうのって素敵だなって思います。ストイックっていう言い方をする人もいるけどちょっと違うかなって思ってる。ゆっくり自分を消して溶かして、なりたい姿に流し込んでいくというか…そういう作業のような気がする。時には魂の色まで変えて。

いいなあって思う。そういうの。
去年の

去年の

9月は何してたんだろうって思ったら、10月に出す医療ドラマエレリの入稿を控えてそれどころじゃなかったんだった。撮影してないわけだよ!
9/17入稿、9/22に予約開始。よく頑張ったなあと思う。
それでいて10月に撮影したもので無配を作ったりね、笑ってしまう。

人間って多分やればできるものなんだけど、やればできるものはどんなに頑張ったって自分の手の届く範囲まで。頑張りたいことが2つも3つもあったならば、悔しいけれども一番やりたいこと、またはすべきだと自分が強く思うものを必死で守り抜くしかないんだろうな。

自分の不器用さを呪うけど、その分、一意専心したものがどうか実を結びますように。
さいきん

さいきん

目に見えて落ちてきている体力が酷く不安。1日もたない、笑ってごまかせない。無理をした翌日は使いものにならない。ただ不安と不信が募る。自分自身への。
ああ、どうにかなるならな。どうにかしろよ。

そんな泣き事は置いておいて。病魔に侵されたリヴァイさんが日に日に弱っていく姿っていうやつを、さいご、いつか、1度でいいからやってみたい。死期を悟った彼は絶望しないだろうし命乞いもしないだろう。静かに死を見つめる姿を追いたい。きっと死ぬ間際まで気丈で気高くあろうとするのだろう。

でも、もし、最期にひとつだけ、彼が何かを願うとしたら一体何だろう、と思う。

どんな死に目であろうと、例えたくさんの血を吐いて清潔を好んだ人の何もかもを赤に染めてしまったとしても、穏やかに逝く人なのではないかと思う。その、息を引き取るときの姿を演りたい。かなうならば。

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