好きだったキャラクターを演じておられた声優さんが亡くなったと報じられた。
こういう時、キャラクターのすごく寂しそうな姿が思い浮かぶんだ。ぽつんと置いて行かれてしまったような、背中。もう二度と泣いたり笑ったりできなくなるのは、命を吹き込んでくれた人だけじゃなくて、キャラクター達も。心の中で生き続けるっていうけど、勿論作品たちは人亡き後も残るけど、その人がいてキャラクターが動き出すっていう感覚、少なくともアニメやゲームが好きだったことがあるなら分かると思う。
もう新しい冒険ができないんだなあとか、もうこの先の物語は語られることがないんだなあとか。今までありがとう、お疲れ様でした。なんだけど、やっぱり寂しいね、寂しいよ。
あのね、2月の末からずっと、収束したらやりたいこと、行きたいことを考えて落胆したり苛々することもあったけど、最近はちょっと変化があった気がする。不自由も不安もそのままだけど、落ち込むことは少し減ったと思うんだ。
うちは母が車の免許を持っていなかったから、小さいころ出かけられる先は自転車で行ける範囲だけで。百貨店とかカフェとか映画館とかものすごい非日常だったし、初めてディズニーランドに行ったときはもうこれ一生もんの思い出だわって思ってた。何だかその頃に近い気持ちだよ。今までのように行けないことにフラストレーションを覚えるより、いつ行けるかわからないけど行きたいなあと、夢見るような思いに変わってきたのかもしれない。500円貯金をしながら、子供みたいに夢を見てる。
自分だけじゃなくて、少しずつ社会も変わってきたように思う。危機感のなさや批判だらけの社会を哀しく思っていたけど、そこここで団結や協力や収束に向けて何かを変えていこうとする空気を感じる。私もね、思うよ。給付金はすごく欲しいけど、10万円をもらうのなら、今は自分より国を支えるために必要な募金に回したいって、この私でさえ思える。空気のおかげかな。
悲しんだり、感じたり、何かしたいと思ったり、まだまだ生きている。頑張らなくちゃ。