ことばだったから、そういう考え方もある、という覚書のために書き留めておく。
『作品の価値は、それをどんな人間が作ったかに依存しない。
パガニーニが人を殺していても俺はラカンパネラのメロディは美しいと言える』
『作品ではなく自分(作り手)に興味を持たれるのが苦手なんだよ。(だから)裏方に戻る』
『勝手に崇め勝手に絶望していく人間たちを見て神様は何で?と思ったが…(略)』
ある作曲家さんの呟いたこと、なんだけど。
自分を愛してくれなくてもいいから作品を愛してほしい、と考える、その感覚にとても近いと思ったから、ああ、そうだなあ。それが理想なのかもしれない、と思った。
ろくでなしの作者が書いた作品だから読みもしないのに「どうせろくでもないに違いない」と言う。罪を犯した人間の演じた作品は全て罪を負っていると判じ、作品から鑑賞される機会を奪ってしまう。もっと単純に言えば、その人嫌いだから作品も嫌い。そういうものが切なくて、知ることが果たして本当にいいことか?と思うことは多々ある。
もちろん、気持ちが繋がる幸せや共感を得る喜びを知っているからこそ、わかってほしいと手を伸ばすし、知りたいと手を差し伸べる、のだけれど。むずかしいね
コメントを書く... Comments