振り向けば、嗤うまりか。

進撃に、リヴァイに、短いレイヤー半生を持っていかれました。悔い無き選択だった。原作はさいごまで見届ける覚悟ですが、捏造パロディ色々好きなだけやらかしつつ愛を燃やし尽くしたいと思います。たまに溺愛しているちびエレリ出没。
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進撃に、リヴァイに、短いレイヤー半生を持っていかれました。悔い無き選択だった。原作はさいごまで見届ける覚悟ですが、捏造パロディ色々好きなだけやらかしつつ愛を燃やし尽くしたいと思います。たまに溺愛しているちびエレリ出没。
さいきん

さいきん

「呟き」ではなく「話」が聞きたいなと思うことがしばしばある。

リリースされた作品ではなく、メイキングを扱ったドキュメンタリーやインタビュー記事を通じて、人の「厚み」について考えるようになったと思う。
勿論演技なら演技そのものから演じ手の熱量や思いを感じればよいことなのだけれど、その人のこだわり、信念、夢、理由、手段。どうやって。どんなことを思って。願って。イメージして。どんな風に作品と向き合っているのか、或いは生き方と向き合っているのか。そういうものを知ることによって、何がしたいのか、何者になりたいのか。その答えをその人なりに探っているのだと知る。

呟きは要するに感情だと思う。行動を伴う必要はない。継続も必要ない。それなのに観衆だけは求めている。なんて滑稽。

「レイヤー」という言葉が昔から苦手で自称するのも好きではなく、とりわけ今の状況では「レイヤー=パフォーマー」としての認識のほうが広く知れ渡っているように感じ、余計に自分が属するものではないと思う。
プロであればオーディションで勝ち取ったりオファーを受けたりして役をもらい、全身全霊で演じるのだろうけれども、コスプレは違う。自分が望む限りその役は自分のもの。誰向けでもない、言い換えれば誰の娯楽でも慰めでもない、自分自身の願いの充足のために衣装を着る。世界に浸る。キャラと感情を共にする。その中で積み重ねてきた沢山の思いが、自分にもあり、それは「話」ができることだと思う。ぜひ聞いてほしいなんて、観衆を求めるわけではないけれども。

ああ、何だろう、よくわからないな。ただ私は写真を見世物にしたくない。そのことは切に思う。
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