振り向けば、嗤うまりか。

進撃に、リヴァイに、短いレイヤー半生を持っていかれました。悔い無き選択だった。原作はさいごまで見届ける覚悟ですが、捏造パロディ色々好きなだけやらかしつつ愛を燃やし尽くしたいと思います。たまに溺愛しているちびエレリ出没。
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進撃に、リヴァイに、短いレイヤー半生を持っていかれました。悔い無き選択だった。原作はさいごまで見届ける覚悟ですが、捏造パロディ色々好きなだけやらかしつつ愛を燃やし尽くしたいと思います。たまに溺愛しているちびエレリ出没。
最後の景色

最後の景色

または、いまわの際に彼が視たもの。
それは誰にも分からない。美しかったのか、絶望が広がっていたのか、ほんとうのことは誰にも。
それでも『あなたは幸せでしたか』と問いかけること、それは救いを求める願い。必死な、肯定への願い。

今日、とある記事、エッセイかな?を読んではっとした。だいたいの内容は
『写真家は自らの最後の一枚を見ることができない。なぜなら、ほとんどの場合最後の写真は絶命した自分のカメラの中にあるからだ。しかし、見ることができない写真だけれども、(彼だけは)その最後(に見た)明滅を確実に網膜に捉え、脳裏に刻んでいる』
と。写真の本質だと思った。

簡単にデータを掲載できるようになった時代、写真は多くの人に見てもらうものになった。当然、撮影した写真を見てほしいと願う写真家が多いだろう。アマチュアだってそうだ。自分の見た景色や瞬間を見てほしいし、願わくば評価してほしい。けれど、よく考えてみれば写真家が見たその瞬間は、本当ならば彼自身にしか見ることの許されなかった瞬間で、彼がそれを切り取ったから私たちはその瞬間を見ることができる。ありがたい。だが、その美しい景色は彼自身が感じた光や色そのものではないかもしれない。本当のそれを知るのは、その景色に立っていた、写っている人物と同じ空気の中にいた、撮影者だけなのだ。

写真というものをもっと大切にしたい。そう思った記事だった。
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